「モラハラ」と「指導」の違いはどこにある?
前職のベンチャーで、強烈なモラハラ上司に遭ったことは以前にも書いた通りです。そのモラハラ上司が原因で、私は転職先を3ヶ月で退職。「キャリアアップ」のつもりだった私の転職は、大失敗に終わってしまいました。
“モラハラ”とは、簡単に言えば「精神的な暴力」です。
が、目には見えない問題だけに線引きがとても難しく、特に職場のモラハラについては、「教育」「指導」との区別がつきにくいのが厄介なところ。発言や行動だけを見て「これはモラハラです」と言えるほど、単純なものでもないと感じています。
というのも、新卒で入った最初の会社でも、私は厳しい上司の下で3年半働いた経験があります。彼は厳しいことで有名で、実際私にもとても厳しかったのですが、「モラハラ」ではありませんでした。
でも、この「厳しい上司」も、行動だけを見れば「モラハラ上司」と共通している部分はたくさんあったのです。
「モラハラ」と「指導」には、共通点も多い
その「厳しい上司」も、私がまだ新人だった当初は特に、やることなすこと都度指摘をする人でした。
私の電話対応を傍で聞いていて、電話が終わるや否やその内容を注意してきたり。他にも私が配信したメールの内容や、上司への報告内容についても、言葉尻を取っては一々追及してきたり…。
「厳しい上司」に指摘されるのがもうイヤでたまらず、会社に行くのが苦痛になったこともありました。彼を敵視していた時期もありました。実際、同僚の中には彼のことを「パワハラだ」と言い、嫌っている人もいたくらいです。口調が強く、曖昧な点はとことん追及する人だったので、そう言いたくなる気持ちは分からないでもありません。
基本的に注意や叱責が多く、部下の行動の一挙手一投足に対してイチイチ指摘をしてくる… 「モラハラ」と「指導」には、確かに多くの共通点があると感じます。
それでも最終的には、私は彼を「パワハラ」や「モラハラ」ではなく、「仕事に対して厳しい人」だったのだと断言できます。彼は私にとってもチームにとっても、非常に良い上司でした。
本当に教育熱心な上司は自分自身にも厳しい
その「厳しい上司」は、部下にはもちろん厳しかったけれど、それ以上に、自分自身に対して厳しい人でした。部下の私から見ても、その「厳しい上司」は目的意識が高く、常にいい仕事をしようとしていたのです。
そのための情報収集や勉強は、自分自身がまず欠かさない。部下に「勉強しろ」という前に、自分が勉強する人でした。
彼の場合、いい仕事をしたいがために、同じ仕事に携わる部下を育てようとした結果が、「厳しさ」として現れたのでしょう。「厳しさ」は仕事のクオリティを追及した結果であり、目的ではなかったのです(※この点が、「モラハラ上司」との一番の違いだと思います)。
そして、「厳しい上司」の場合、彼が意図する「いい仕事」というのが一体何を指すのか、それがメンバーにきちんと共有されていました。
数値目標、納期、スケジュール、求められる仕事のクオリティなど、いつも自分や部下がどこへ向かって何をすべきか、彼はそれらを明確にする努力をしていました。
だから、部下が目的が曖昧なまま目先の作業だけしようとしたり、目的に反するような行動があった時には、おそろしいほどの勢いで追及する(その「追及」の場面だけを切り取って見たら、「パワハラ」だと思えるほどの勢いでした)
でもそれは、彼が仕事の成功を一番に考えていたからです。
その証拠に、事前の打ち合わせによる目的の共有は欠かさなかったし、定期的に進捗を確認することも怠らなかった。部下としては、その確認が細かすぎるとストレスに感じることは確かにありましたが、自分が今どこを歩いているのか分からないような不安はありませんでした。
彼の目的はあくまでも、<部下と共に仕事を成功させること>にあったので、厳しい指摘の意図を説明する、叱責の後には必ず今後の方向性を示す、ということも忘れませんでした。
「厳しさ」=「モラハラ」とは限らない
「厳しい上司」のもとで3年半仕事をしたことは、私にとって良い経験となりました。しんどい時期もあったけれど、最終的には自分のスキルも上がったし、彼の下で働けて良かったと考えています。
だから、上司がすごく厳しいからといって「あいつはパワハラだ!」、 言うことがキツイからといって「彼はモラハラだ!」 というのはちょっと違うと思っていて、「何のために厳しくしているのか」… その厳しさの先に正当な目的があれば、一概に「パワハラだ、モラハラだ」とは言えないと思います。
明確な目的・目的があればこそ、そこへ辿り着くまでには「厳しさ」が必要になることもあるでしょう。
逆に、そうした目的が一切ない、あったとしても本人に伝えられないまま無闇に厳しくしているようなケースは、モラハラの可能性が高いと思います。
「モラハラ上司」の指摘には中身がない
次の職場の「モラハラ上司」の厳しさは、全く質が違いました。
「モラハラ上司」に、何か仕事上の目標があったのかどうかについては、私には分かりません。
ただ、彼が「部門として何をしたいのか」といったビジョンについて、少なくとも私は自分の在職期間中に一度も聞いた覚えはありません(正確には、ちょっとでもそうした核心部分に話が及ぶとヒステリックになる人で、重要な話が一切できませんでした)。
それだけでなく、今後のスケジュールや役割分担といった基本的なことについてすら、彼が口にすることはありませんでした。目的がない、またはあったとしても私をはじめ部下に一切伝えないまま、部下の行動に対する否定だけを繰り返していたのです。
彼の指示は常にピンポイントで前後がなく、中身もない。
何か訊けば必ず嫌な顔をする(部下に「正解」を教えたくないからです)。
仕事に必要な情報を事前に与えることはせず、必ず「後出し」であれこれと指摘をする。
こうした行動を見ても「モラハラ上司」は、仕事の成功になど興味はなかったのだと思います。ただ目の前にいる人間を苦しめることだけが、彼にとっての<やるべきこと>だったのではないでしょうか。
「モラハラ上司」の厳しさは、「相手を苦しめるための厳しさ」。彼の指摘は「指摘のための指摘」。
その厳しさ、指摘の向こうには、何もありません。
見極めができないと、大変なことになるのが「モラハラ」
上司にちょっと厳しくされたからと言って、すぐ「モラハラだ!」「パワハラだ!」と騒いでいたようでは、自分の成長はありませんよね。
かといって、目的も分からずに闇雲に厳しくされながら、「これは教育なんだ」と捉えようとしていると、そのうち精神を病んでしまいます。
指導か?モラハラか?この見極めが、とても難しい!
単純にモラハラ上司達の言葉だけを切り取れば、「業務上の指摘」「上司としてもっともな指導」に聞こえてしまうからです。また恐ろしいことに、彼らは「指導」を装うのがとても上手だから。
もし今、厳しい上司の下について苦しい思いをしている人がいたら、その厳しさの目的がどこにあるのかを考えてみることは、無駄ではありません。
そしてもし、その目的がない、共有されていない、或いは上司の自己満足にあるようだとしたら。
その時は、「モラハラ」を疑うべきだと思います。
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