さて「無痛分娩」とはいえ、なかなかの痛さだった私のお産。
無痛分娩 体験記 – 入院日の決定から分娩まで。一連の流れを体験記としてまとめました
それでも、赤ちゃんが産まれてくるところまでは大きなトラブルなく進みました。
しかし、問題はこの後だったのです。
赤ちゃんが産まれ、ホッとしたのも束の間…
赤ちゃんが産声をあげ、私はホッと一息。
陣痛も嘘のように消え去り、お産も残すところは子宮内に残っている臍帯と胎盤が出てくる「後産(あとざん)」のみとなりました。
当然、長男の出産時にも経験があるわけですが、それまでの陣痛や分娩時に味わった痛みに比べたら「後産」など何ともないもの(…の、はずでした)。
後産に関しては痛みというより、へその緒が引っ張られたり、胎盤が産道を通っていく際の「やや不快な感覚」があるだけで、前回特に痛かった記憶はありませんでした。
通常、赤ちゃんが産まれてから15分程度で(遅くとも30分以内には)後産も終わると言われています。
胎盤が出て行ってくれれば、これで出産は完了、気分爽快… と、分娩台の上で私はその時を待っていました。
助産師さんは私の下腹部をお腹の上からグイグイと押すようにマッサージしながら、産道から出ているへその緒を引っ張ります。
特に痛みは感じません。
分娩時に投与した麻酔が、まだ効いていたのかもしれませんが…。
胎盤が出てこない!へその緒が切れた!
私の中ではもうお産は終わったも同然でしたから、既に気持ちはゆるみきった状態です。
カーテンの向こうで、夫と長男が産まれたばかりの次男と対面しているようです。「おめでとうございます」「お兄ちゃんに似てますね」などと、助産師さんが言っているのが聞こえてきました。
夫が助産師さんに、私と話ができるかどうかを尋ねたようです。
「もう少しですね。あとは胎盤が出て、お着替えしたらお話しできますよ」
私もそのつもりで待っていました。
ところが。
待てども待てども、処置が終わらないのです。
助産師さんによる下腹部へのマッサージと、へその緒をツンツンと引っ張る行為が延々と続くのですが、胎盤は全く下りてくる気配がありません。
段々と、助産師さんがマッサージする手に力が入り始めます。お腹をかなりの力でグリグリと押され、「ぅぐっ…」と声が出るほどです。
その様子を隣で見ていた女医さんが、私に尋ねました。
「上のお子さんを産んだ後、流産したことは?」
「ないです…」
少なくとも、私には自覚症状のある流産経験はありません。
「そう… 流産してると、後産で胎盤が出にくいことがあるものだから。まぁ流産してなくても、出にくいことはあるんですけどね」
「そうですか…」
徐々に不安が募ります。どうして出てこないんだろう… このまま出てこなかった場合は、どうなるんだろう?
しびれを切らした女医さんが、助産師さんに代わって私のお腹のマッサージを始めました。これがまた、ものすごい力の強さ!痛い。そして同じようにしてへその緒を引っ張るのですが、それでも胎盤は出てきません。
ーー赤ちゃんが出てきた時間は?
ーーもう30分以上経ってるわよ…
などと助産師さんたちが話し始めます。何かちょっと、まずい事態なのかな… と思い始めたとき、
「あっ!」
…と声がして。
なんと、助産師さんが引っ張っていたへその緒が、切れてしまったのです!胎盤は、まだ子宮内に残ったまま。
凄く…すごく嫌な予感。だって、へその緒を引っ張ることで、それと繋がっている胎盤を外へ引っ張り出すんですよね?
そのへその緒が、切れてしまったということは…
その「嫌な予感」は的中、そこから先が最悪でした!
胎盤を手で剥がす!「胎盤用手剥離」が行われる
いつの間にか、分娩室内には助産師さんが3~4人集まってきていました。
そして分娩に立ち会った女医さんとは別に、男性医師(おじいちゃん先生)がもう一人…。
私はメガネを掛けていなかったので室内はぼんやりとしか見えませんでしたが、とにかく分娩台の上の私を取り囲むようにしてワラワラとスタッフが集まってきていたのです。
産婦ひとりに対して、この人数… いよいよ、マズイ事態なのか…?
もうそこから後は、正直、記憶が曖昧です。
おじいちゃん先生によって、「胎盤用手剝離」という処置がとられることになりました。
用手剝離… 読んで字のごとく、手を用いて胎盤を剥がす、というもの。
これがもう、痛いのなんの!
産道に手を入れて、子宮内に張りついている胎盤をメリメリと引き剥がすのですから痛くないはずがありません。
「ぎゃああああァァァ!」
「痛い!痛い!痛い!」
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理!」
もうとにかく、叫ぶしかありません。助産師さん達が口々に、
「深呼吸して!フーーーっ てゆっくり吐いて!」
などと言うのですが、あまりの痛さに息が浅くなり、
「ふっ… フゥ~ フッ ぶっ ぁあぎゃああああ!」
になってしまう。
もう深呼吸なんぞするよりも、叫んでいた方が少しは楽になると思い叫んでいました。
どこがどう痛かったのか、細かいことは、この記事を書いている時点ではもう憶えていません。思い出したくもありません。
時間にして、どのくらいだったのでしょう…
おそらく5~10分くらいだったのではないかと思うのですが、私にはとてつもなく長く感じられました。
おじいちゃん先生と女医さんが、ああだこうだ言いながら処置をしているやりとりを聞きながら、危うく、
「もう何でもいいから早くして!」
と怒鳴るところでしたね。
途中から、まだ分娩時のまま管の繋がっていた点滴から麻酔が投与されたのですが、今更効かない… というよりも、麻酔が効き始めるよりも先に処置は終わってしまいました。
「取れたよ!もう終わったからね!」
と、助産師さんの声。
こうして、「胎盤用手剝離」の悪夢は終わりました。
私は助産師さんに指示されるまま深呼吸で息を整え、どうにか落ち着きを取り戻したのでした。
癒着胎盤?予防も、事前の診断も難しいらしい…
後から夫に聞いたところによると、この時の私の叫び声は夫と息子が待機していた病室まで響いていたのだとか。何事かと思って分娩室の前まで来た夫は、その叫び声が私のものであることを知り、お腹が痛くなってしまったそうです(笑)
その夜、帰宅した夫から送られてきたLINEには、「癒着胎盤」に関するWikipediaのURLが貼られていました。
何らかの原因により、胎盤の絨毛組織が子宮の筋層に侵入してしまい、剥がれなくなってしまう病態を「癒着胎盤」というのだそうです。
私は病院側から「癒着胎盤でした」との診断を受けたわけではないのですが、Wikipediaを読んだ限りではそれに該当するのではないかと思われました。
また事前の診断は難しく、ほとんどの場合、分娩時に発覚するのだとか。
本疾患を分娩以前に診断することは不可能である。 分娩後に胎盤の遺残があり、胎盤娩出促進手技を行っても剥離する兆候が見られない場合、臨床的に癒着胎盤が疑われる。確定診断は、摘出した子宮もしくは胎盤の病理的検討のみにより可能である。
出典:Wikipedia
なるほど、胎盤を調べてみなければ「癒着胎盤」であるかどうかの診断はできないのですね。
そのためか、院長先生も助産師さんも「癒着胎盤」という言葉は使わず、「胎盤が子宮にしっかりくっついていた」という言い方に留めていたのかもしれません(「用手剥離」という言葉は使っていましたが)。
いずれにしても、私の後産は正常なものでなかった、ということは明らかです。この日の入院費は保険適用となり、若干安くなりました。
それにしても予防もできず、分娩時にならないと分からないなんて。私にとっては、とんだサプライズでした!