女の子のママに「男の子は欲しくない」と言われて
先月のことです。
同じ保育園のママ友のお宅にお邪魔して、子どもを遊ばせながらお茶をしていた時のこと。我が家以外の2家族は、子どもはどちらも女の子。その日一緒に遊んでいたメンバーでは、男の子は息子ひとり、という状況でした。
さてそんな中、「女の子の育児ってどう?」「男の子は、やっぱり大変?」という、子どもの性別の話題になりました。そして、もし次に産むとしたら、男の子がいい? 女の子がいい? という話に。
すると、ママ友の一人がすかさずこう言い放ったのです。
「私は女の子が欲しくて女の子を2人作ったんで。男の子は最初から産む気なかったですから」
「下の子が、健診で『男の子かもしれない』って言われた時、産むのが嫌になるくらいテンション下がったんですよねー」
「男の子は、絶対いらない!」
私は固まりました。男児の親である私が目の前にいるというのに、そして、保育園児とはいえ言葉の理解が進んできている子どもたちが、同じ部屋の中にいるというのに…
「自分が男の子を育てられるか不安」とかいう話じゃないのです。端から『男児』そのものを否定した言い方で、男の子の親としてはショックでした。それに、まるで自分の力で子どもの性別を選んだかのような言い方にも驚くと同時に違和感を感じました。
男の子の親に向かって、なぜ…?
その日、息子は行儀よく遊んでいましたし、息子に向けられた批判とも思えませんでした。
むしろそのママ友は、「ウチの子が〇〇くん(息子)のこと好きみたいだから、今度遊びに行っていいですか?」と私を誘ってくるくらいでしたから、うちの息子という一個人のことは、比較的肯定的に見ていたんじゃないかと思います。
おそらく、そのママに悪気(私や息子を攻撃する意図)はなかったのだと思います。
ではなぜ、「男の子を産みたくない」なんてとんでもなく失礼なことを、私の前で言ったのでしょう…
日頃から強く、そう思っていることは確かですよね。彼女は本当に強く、そう思っていたのでしょう。産むなら何が何でも女の子!男の子は要らない!と。そして、子どもの性別に話題が向かったところで、ついうっかり口を滑らせてしまっただけだと思います。彼女のあのまくしたてるような勢いからは、そんな印象を受けました。
でも、「うっかり口を滑らせてしまった」その背景には、彼女の中で自分が「女児の親である」ことに対する強烈な優越感があったのではないかと思うのです。
私も、世の中には「男の子を産みたくない」という人が割といるらしい、ということは知っていました。というのも息子を妊娠中、性別が分かる時期に色々と調べていたところ、びっくりするくらい検索に引っかかったのが、
「(お腹の子が)男の子と分かって落ち込んでいる」
「女の子のママになりたかったのに…」
という言葉だったからです。その理由は、
女の子の方が、大人しくて育てやすいから。身体も丈夫だから。
可愛い服を選ぶ楽しみがあるから。
大きくなってもずっと、母親と仲良しでいられるから。
男の子は結婚すると、お嫁さんに取られちゃうから…
などなど、「女の子がいい」と考える理由はいろいろあるようです。
どれもこれも、大した理由ではないように私には思える上、女児に対する勝手な期待というか、イメージ、妄想にすら思える部分もありますが。なので妊娠中から、こうした風潮は不思議でたまりませんでした。
私にとっては。
「女の子の親=勝ち組」であるという優越感か
それでも、「女の子の親=勝ち組」と考える風潮が現に存在することはよく分かりました。理解はできないけれど、「何が何でも女の子」「男の子は要らない」「男の子の親=負け組」と考える人たちは、一定数いるのだと。
たぶん、そのママ友もそう考えていたのではないかと思います。
元々、子どもは女の子でなければ絶対にイヤだと思っていた、結果的に女の子を2人授かった(彼女曰く「女の子が欲しくて女の子を作った」)ことで、晴れて自分は「勝ち組」となった。嬉しくて、誇らしくて仕方がない!
そして、その「勝ち組」アピールができるチャンスが不意にやって来た! 待ちに待った、子どもの性別の話題! 今だ! それっ!!
…という感じで、勢いづいてしまったのかもしれません。
そのママ友に悪気があったとは思わないけれど、その日は帰宅してからも、しばらくモヤモヤしていました。自分の大事な息子を否定されたことへの怒りに加えて、「あぁ、ママ友一人いなくなったな…」という残念な予感もありました。
それまでは、割とサバサバした印象で私から見て好印象なママだったのですが、この発言で一気にイメージが変わってしまいました。「サバサバ」じゃなくて、単なる「無神経」だったのかもしれない、と。このまま付き合いを続けていてもイヤな思いをすることが多そうだから(特に、完璧な女児至上主義のママでは…)適当に距離を置いて深入りしないようにしよう、と思いました。
と同時に、私は息子を、他人の気持ちに配慮した発言ができる男に育てよう!と決意したのでした。