また見てしまった「間に合わない夢」
以前から時々、悪夢を見ます。
内容はいつも同じ。「大学受験に間に合わない」という夢です。
大学受験まであと1、2ヶ月しかない。でも私は受験勉強を全くしていなくて、今からどう頑張っても到底無理、決定的に遅い…という内容。
最近また、同じ夢をよく見るようになりました。
昨夜はちょっとバージョンが違って、「大学を卒業できない夢」でしたが…。
卒業時期が迫っているのに、このままでは単位が足りない、でも今からでは遅い、どうにもならない。
「大学受験」から「大学卒業」へ。設定は多少変わったものの、夢の中で感じる焦りと後悔の気持ちは全く同じです。
<リミット>は決まっている。<やらなければやらないこと>も、分かっていた。
でも、自分はそれをやっていないし、今からではもう間に合わない。どうしてやらなかったのだろう。
なぜやらなかったのか、自分でも分からない。時間は充分あったはずなのに!
…と、夢の中とはいえ、こうした感情を何度も何度も繰り返し体験するのは、精神衛生上よろしくないですね。
ちょっと落ち着いて、この悪夢について考えてみなければなりません。
今年35歳。心のどこかで「もう遅い」と思ってる
社会人になってから、毎日に焦りや行き詰まりを感じた時に、よくこの夢を見ていたように思います。
卒業以来、自分の仕事に疑問を抱きつつも、その気持ちから目を逸らして働いてきました。しかし息子が生まれ、復職してからは、どうにも自分に対して誤魔化しが利かなくなってしまったのです。
(普通なら、「子どものため」「お金のため」と覚悟を決めて割り切るところなのかもしれませんが、なぜか、私にはそれができませんでした)
復職して間もなく、私は転職について真剣に悩むようになっていました。
「このまま、この仕事を続けていていいのだろうか?」
「いや。私のキャリア、このままじゃダメだ」
「年齢的にも、ギリギリだ!」
当時、31歳。
今思えば別に「ギリギリ」ではなかったのですが、当時はもう後はないと思い込んでいたのです。とてつもない焦りを感じ、頻繁に「大学受験に間に合わない夢」を見ては、気持ち的に追い立てられていました。
思い込みとは恐ろしいものですね。結局、こうした焦りから私は半ば衝動的に、異業種に転職してしまったのです。
しかし、転職先でも、その次の職場でもあまり上手くいきませんでした。
そして今年になって、会社を退職。
自営である夫の会社に所属する形をとっていますが、実質フリーランスのようなものです。このまま稼げなければ、「無職」と言った方が正確でしょう。
34歳にして、会社組織から離れた存在となってしまいました。
以前、「年齢的にギリギリ」と考えていた歳に、さらにプラス3歳の状態で、社会人としては<何もない状態>となってしまったのです。
3年の間に何かと苦労はあったものの、キャリアとして積み上げられたものは特にありません。これといった専門知識も、資格もなし。
しかも、かつて転職市場では「定年」とも言われていた『35歳』(最近では、あまり聞かない気もしますが…)が、目前に迫っています。
もし今回の仕事でも失敗したら、それこそ本当に後がないのでは?という強烈な不安に襲われます。
「『年齢』は『成功』と無関係ではないが、それで全てが決まるわけじゃない」
「条件のひとつにすぎない」
というのが、年齢に対する私の基本的な考えです。
でも、いくらアタマではそう考えようとしても、現実には、何の成果も挙げられないままに時間だけが過ぎていくように感じ、再び強烈な焦りを感じてしまっている。
「リミットが迫っている」「そして、今更もう遅い」という不安と焦りに潰されそうになっているのでしょう。
それで、あんな夢を見るのだと思います。
怠惰だった過去を後悔する気持ちか
続いて、夢の中で何度も繰り返し感じる、「どうして、(リミットが分かっていたのに)やらなかったのだろう?」という気持ちの正体。
これは、今までの怠惰な人生に対する後悔の感情ではないか思います。
「怠惰」と言っても、おそらく外から見た私は怠け者には見えないでしょうし、目に見える部分では人並みの努力はしてきたと思います。
大学に入学する⇒卒業する⇒就職する⇒マジメに働きそれなりに評価される⇒結婚・出産⇒復職する…
その「パターン」に乗るための努力は惜しまなかったし、カタチ上はいつもそれなりに一所懸命、それなりに必死にやってきました。人事考課でも、いつもそこそこ評価されてきました。
そのため、自分でも自分のことを「結構頑張っている」と思っていたくらいです。
だけど、私は自分自身に対してとんでもなく怠惰でした。
自分は、何が好きか。何をして、生きていきたいのか?
こうした基本的なことを真剣に検討することなく、30代の半ばまで来てしまったのです。向き合わなければならない局面が訪れる度に目を逸らし、結論を先延ばしにしてきました。
大学時代は特に勉強に目的を持たず、卒業に必要な単位だけ取り卒業。
就職活動でも特にやりたいことを見つけられず、深く考えることなく、採用人数が多く入りやすそうな所へ入社しました。
その結果、「これは私がやりたいことではない」という気持ちをくすぶらせながら10年近く勤めることになり、焦る気持ちからカタチ上の「キャリアアップ転職」を試みたものの、うまく行かずに全てが滞り始める…
自身の行動を振り返ってみると、要領は悪い方ではなかったのかもしれません。でも、逆にそれが仇となったのです。
世間一般の「パターン」にうまいこと乗ったつもりでも、肝心の自分自身が置いてけぼりでは、何の意味もないのです。
目的も計画もなく、目先の障壁を小手先の手段で「何となく乗り越えてきた」だけの人生。
その場しのぎばかりが上手くなり、その結果、何の実績も残せていないという残念な自覚が今の私にはあります。
こうなることが分かっていながら、なぜもっと若い時に、自分の人生について真剣に考えなかったのだろう。
その後悔の念が、夢となって現れるのでしょう。
先延ばしにしてきたことと向き合うしかない
それなりに必死ではあったけど、自分自身に対する真剣さを欠き、全く計画的ではなかったここまでの人生。
ひとつの区切りともいわれる『35歳』を目前に焦る気持ちと、これまで何をやってきたのだろうと後悔する気持ちが交錯し、同じ夢にうなされて、…何だかもう、頭の中が混乱状態です。
今のところ夫の収入が落ち着いているとはいえ、金銭的な不安も決して小さくはありません。
でも、不安や焦りから再就職など目指してみても、きっと同じことの繰り返し。
私がやらなければならないことはひとつ。ずっと先延ばしにしてきた「自分はどう生きていくか」という問題と向き合い、今後の人生の戦略を立てることです。
今それをやらなかったら、多分また40歳、45歳… と節目の年が来るたびに「大学受験に間に合わない夢」を見てうなされることになるでしょう。
幸い、転職したこと、退職したことへの後悔は、あまりありません。
全くない、と言ってしまったらただの強がり、または嘘になってしまうので、言えませんが…。
これまで経験したどの仕事も、どの会社も、合っていたとは思えないし、あのまま定年まで勤めたとして、幸せになれたとはとても思えません。金銭的には安定しても、「合っていない、やりたくない」という葛藤を抱え続けたことでしょう。
今回の退職は、「独立してやっていきたい」という前向きな気持ちというよりは、どちらかといえば「私は会社員には向いていない」という、逃げの気持ちの方が大きいものでした。
それでも、何となく流されていれば給料が貰えた会社員時代とは違い、自分でアイデアを出し、成果物を生み出さなければ収入は得られない状態となったことで、必然的に自分の好きなこと、得意なこと、真剣になれることについて考えざるを得ない状況となりました。
夢中になれることでなければ、とてもやっていけないからです。
荒療治だったかもしれませんが、退職したことは、自分の人生全般にとっては良い影響を及ぼすはずだと思っています。
また、これから先もそう断言できるように頑張らなくては。
この際、徹底的に自分の武器について考え抜いて、これからの戦略をたてていくつもりです。
「大学受験に間に合わない夢」だけは、金輪際、見たくありませんから…
【関連記事】