「あいつのせいで…」恨まずにいられない相手がいる
ここ3年ほど、私はそれまでさほど苦労することがなかった人間関係に、絶えず悩まされてきました。
3年の間で二度転職したのですが、どちらの会社でも上手くいかず、退職。その主な理由が、いずれも人間関係でした。
どちらの会社にも、私の退職の原因となった<特定の人物>がいたのです。自分に全く非がないとは言わないまでも… やっぱり、非常識なくらい、厭な人たちでしたね。
彼らと出遭ってしまったがために、私の人生は狂ってしまった。そう思わずにはいられない日々が続きました。
「あいつさえいなければ、会社を辞めずに済んだのに」
「あいつが私の人生を破壊した。許せない。許さない」
そんなふうに沸きあがってくる恨みの感情と、戦いながら過ごす毎日。放っておくと、その感情はどんどんどんどん濃縮されていきます。
でも。人を恨んでも、結局のところ損をするのは自分だけなのです。
誰かを恨むと、自分が擦り減る
恨むことで、相手に対して何らかのダメージを与えることができるのであればまだしも、それによって擦り減る羽目になるのは、残念ながら自分だけです。
恨み・憎しみの感情は、自分の腹の底にどろどろと溜まっていくのみ。相手に届くことは、決してありません。その負の感情の影響を受け、蝕まれていくのは自分の方なのです。
一旦恨みの感情を抱くと、自分の不運は全て人のせいであるかのように感じられるようになります。
はらわたが煮えくり返るような過去のやりとりを、頭の中で何度も何度も再生し、怒りの感情を繰り返し体験する…
そうしているうちに、精神が過去に生きるようになってしまいます。
また誰かを恨んでいる限り、その相手からの影響を受け続けていることにもなります。
この世から消し去ってやりたいと思うほど憎い相手なのに、消し去るどころか、その相手に感情的に支配され続けることになるわけです。
しかも、当の相手はこちらのことなど忘れているか、ほとんど気にかけていない場合がほとんどでしょう。
それってものすごく、癪なことではないでしょうか。
だから、「誰かを恨む」なんてことは、絶対にするべきじゃない。これは自分のためです。
…と、分かっていても湧きあがってきてしまう「あいつのせいで…」という憤りを、どう処理したらいいのでしょうか。
恨みの感情を断ち切るには?
自身の経験をもとに、お話ししたいと思います。
まずは相手から、物理的に離れる
この世から消し去りたいほど憎い相手を目の前に、恨みの感情を持たずに過ごすことは難しいものです。
いや… 理想を言えば、本当は私もそうありたいと思っています。
どんな環境にいようと、相手からどんな扱いを受けようと、自分の内面は常に落ち着いていて変化しない。自分に影響を与えることができるのは自分だけ…
そんな境地に辿りつけたら素晴らしいのですが、なかなかそうはいきません。現実には、憎たらしい相手の顔を見るだけで感情的に反応してしまいます。
だから一旦、相手から離れて冷静になることが必要です。
相手が親戚だったり、仕事関係の人である場合は特に、「付き合わないわけにはいかない」「距離なんて置けない」と感じるかもしれません。
そもそも簡単に縁を切れる相手ではないからこそ悩むのだとは思いますが、それでも何とか距離を置く方法がないかを考えてみましょう。
また、今すぐには無理でも、離れる準備を始めてみるだけでも一定の効果はあると思います。友人関係なら、3回に1回は誘いを断るとか。仕事関係なら、転職のための情報収集だけでも始めてみるとか…。
この先ずっと付き合っていかなければいけない、と思うから余計に腹が立つし、恨みが溜まるのです。
相手と距離を置くことが可能なら、そうしましょう。改善する見込みのない人間関係から受ける悪影響は、想像以上です。
「離れることができない」というのは、単なる思い込みかもしれない、と疑うことから始めてみてください。
似たような要素を排除し、精神的にも距離を置く
さて。憎んでいる相手から離れたとしても、その相手を思い起こさせるような環境にいるのではダメです。
物理的に離れ、その相手のことを考える時間を減らすことが目的なのに、離れても当時のことを思い出させるような環境にいたのでは意味がありません。
私の場合も、このパターンに陥っていました。
転職1社目で遭遇したモラハラ上司から、やっと逃げたと思ったら、
2社目で今度は、超・横柄な営業担当の下で働くことになってしまったのです。
彼らの言動には共通点が多く、職場が変わったのにもかかわらず、私が置かれた環境はさほど変わりませんでした。
いつ、どんなことで攻撃されるか分からない。そうしたストレス下で働く辛さは全く同じ。
(レベル的には前職の上司の方がタチが悪く、そのためか2社目の営業担当には何となく我慢ができてしまったんですけどね…)
いわれのないことで営業担当から恫喝を受けるたび、前職の上司のネチネチとした攻撃が頭の中で再生されました。職場を変わってからも、私の中では当の営業に対してだけではなく、前職の上司への恨みも同時に蓄積していったのです。
誰かへの恨みが断ちきれなくて苦しんでいる場合、まだ周囲に似たような要因があるのかもしれません。
自分の目標を定め、「今」を充実させること
続いて、相手からも、相手を思い出させるような環境からも距離を置き、直接影響を受けることがなくなったのにもかかわらず、いつまでも恨みが消えない場合。
ちょっと言い方は悪いのですが、この場合、精神的に「ヒマ」なのかもしれません。
私自身、育児をしながらフルタイムで働いていて、身体的にはかなり忙しかったはずでした。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ… と追い立てられ、バタバタとそれこそ「飛ぶように」過ぎていく毎日。
ただ、身体的に忙しいことは確かなんですが、やらなければいけないことをただ片づけていただけなので、精神的にはヒマだったのでしょうね。
能動的に考えることもなく、ぼんやりと惰性で過去を思う時間が増える。大嫌いな「あいつ」のことを考えるのが、お決まりのパターンになってしまっていた…
他に集中できること、将来の「目標」を持たなかったがために、貴重な時間をどう使うか、何に意識を向けるか、そうしたことに全く注意を払っていなかったのです。
目標を定め、そこへ向かって動き始めると、嫌いな相手のことなどどうでもよくなります。
というか、貴重な時間を、嫌いな奴のことを考えるために費やすのが非常にもったいなく思えるようになるのです。
過去のことをほじくり返して、気分を損なうのがバカバカしくなってくる。
そんな暇があるなら、自分の目標のために時間もパワーも費やしたい、と。
他人を恨むのは、自分の人生に集中していない証拠
目標を定め、そこに集中している時は、自分の思考の内容に注意し、時間の使い方を意識しています。
当然、くだらないことで気分を害したり、時間を無駄にしたりなど、絶対にしたくないと感じます。
まして、今はもう関わりのなくなった人間を恨むことに、貴重なエネルギーを割いてなるものか!と思う。
嫌いな相手だからこそ、これ以上、私の人生に影響を与えることは許さない、と考えるようになります。
逆にこれといった目標を持たず、精神的な漂流者になってしまうと、何に時間を使うか、何に意識を集中させるかの判断を誤り、「あいつのせいで…」が始まってしまいます。
つまり、いつまでも他人をネチネチ恨んでいるのは、自分の人生に集中していない証拠!
…と、私は自分に言い聞かせることにしています。
最終的に自分の目標に到達し、充実感・幸福感を感じられるようになれば、恨みは消えてなくなるのかもしれませんね。
これこそ、<正しい恨みの晴らし方>ではないでしょうか。
私は「彼ら」の存在をきっかけに会社を辞めてしまい、恨みたくなる気持ちと戦いながら過ごしてきました。
でもこれから先、当時以上、今以上に充実した毎日を過ごせるようになれば、逆に「彼らのお蔭で」と感謝すらできるようになるかもしれません。
「人生を変えるきっかけとなってくれてありがとう!」と。
…まぁ、本当に最低な人たちでしたからね。だったら結果的にでも、踏み台になってもらわないと割に合いません(笑)